BLUE BLUE JAPAN RECYCLE DOWN
Interview
Ged Wells
insane
本誌27号にて取材させていただいた、UKスケートブランド〈インセイン〉が今年で40周年をむかえる。これを記念した展示販売が東京・原宿にて行われる。創始者のジェド ウェルズによる記念作品から、ジェドの友人であるアーティストたちとの共作など。ジェドの友人である〈ネイタルデザイン〉も参加して国内の交流あるブランドも一同に集まる。以下は本誌取材による記事となります。
UK スケートの草分け的なブランド〈インセイン〉
その核となる Ged Wells に来日した東京で話を伺った。
誰もスケートボードで遊んでいなかった時代からはじまり、
その遊ぶスタイルは現在も変わらない。
はじまりの ZINE
イングランド南部の海岸沿いにある小さなワイト島で育って、両親とも芸術家だったんだ。 父は教師で画家で、陶芸家でもあり、母はロンドン・バレエの衣装デザイナーだった。だから家は常にクリエイティブな場所だったし両親がヒッピーだったので、いろいろな場所に行ったんだ。小さい時から絵は描いていて、学校で父がアートの授業も行っていたり、それ以外でも大人が集まるアートのオープンクラスにも父と通っていて、そこにはアートの道具がたくさんあって、陶芸もできたし印刷も可能だったんだ。
学校に通っていたときは、とても大きな作品を作ったり、いろいろな手法のアートを制作していたんだ。でも、学校が終わって何をすれば良いかわからなくて大学に行こうとしたんだけど、彼らは僕を必要としてくれなかった(笑)。それで、考古学を扱うところで働くことにしたんだ。 古代のローマの発掘した絵を、陶器のために同じデザインで描いていたんだ。グラフィックは素晴らしくて楽しいこともあったよ。それに、考古学の絵を描きながらスケートボードはしていたから、 コピー機を使ってスケートボードの ZINEを作りはじめたんた。滑っている写真もたくさんあったし、友達の音楽レビューも載せたりして、自分でも手描きするようになっていったんだ。それを皆んなに送っていろんな場所に広めたよ。
―― その時代のスケートボート
〈insane〉をはじめた80年代のスケートボードのコミュニティは、とても小さかったよ。スケートボードをしている人が街に一人いるかいないかの時代だったんだ。だから、ZINE をはじめた時から、ステッカーを作ったり、家で T シャツをプリントしたり、ZINE の広告を作ったりして配布しはじめたんだ。1984~1990年のZINE作りが全ての始まりなんだ。それにプリントしたTシャツもロンドンでは他になかったよ。自由に涼しい顔でスケートしていると、知らない人が捕まえにきたりもしていたね。その頃は 70 年代のサーフィンスタイルがメインだったから、80年代に立ち上げたスケートボードは忍耐だったし、唯一のスケートブランドで子供たちだけの文化だった。そのスケートボードがいろんな場所に連れて行ってくれて、たくさんの友達を作ることができた。〈insane〉をはじめた理由はスケートボードが盛んではなかったからなんだよ。 最初は直接生地に手描きもしていたし、母にショーツやトラウザーを作ってもらっていたんだ。 母がタイダイ染めをして、それにプリントしたこともあったね。
―― そこからどのように展開していったのでしょう?
最初はロンドンの Slam City Skates(本誌 17 号掲載)で売るようになって、91年には、〈insane〉が Slam City Skates から独立して、まだとても小さかったけど注目され始めた。そのおかげで資金を得ることができたから、ブランドとして本格的な展開を始めることができたんだ。そこで、ファッションデザイナーが必要になってセントラル・マーティン大学で開催されていたファッションショーに行ったんだ。そこでソフィアが作ったものを見て、その当時に誰も作る人がいなかったスポーツウェアで、本当に素晴らしいと思った。その後に打ち合わせをして、彼女がデザイナーとして〈insane〉 で働くことになったんだ。ソフィアは、その後に〈HOMES〉というブランドをスタートして、それから〈SILAS〉をはじめたんだ。(現在は Aries)
insane
「insane /インセイン」はUKスケーターブランドの草分け的存在で 90 年代を代表するストリートブランド。自身もスケーターであるGed Wells が自ら描くアートワークをTシャツにしたことからスタート。 伝説的なスケートボード専門誌「Rad magazine」に取り上げられ注目を集める。そしてUK のスケーターたちから絶大な信頼を得ていた「Slam City Skates」と契約。当時目立ったスケーターブランドが存在しなかったイギリスで、アメリカブランドにはない新鮮なグラフィックが評判になりスケーターたちを通して瞬く間にストリートで人気に火が付く。日本では90年代初頭に各ファッション誌で紹介され、入手困難になるほどその人気はカルト化。今もなお、多くの支持を集めている。
special thanks. Shinsuke Gotoh (NATAL DESIGN)
interview&text. Taishi Hikone
非常識さを植えつける
―― 絵を描くときのメージは、どこから湧いてきますか?
脳の洗濯機からだね(笑)。アイデアで大事なのはインパクトとユー モアだと思っているよ。次の道は、そのストーリーを追っていって、物語の中のアイデアに命を吹き込むこと。そこにユーモアのセンスの妙や面白いことも加えるよ。
―― 他にも心がけていることはありますか?
スケートボードであれば、どうやってコミュニケーションを取るのか、誰とコミュニケーションを取るのか、何を表現したいかを考えるための共通の理解軸があると思う。会社やバンドなどのためにデザインするときにも共通していて、本当に望んでいることをもらって、自分のアイデアと交換する。その偶然からマジックが起こるかもしれない。だからアイデアが何であれミックスするんだ。
―― 独自で進むために大変なこと
お金を得ることだね(笑)。ほとんどのアーティストも同じだと思 うね。 何度も挑戦して常にビジネスであろうとしてきたけど、ビジネスは試行錯誤だし、物事の仕組みを理解することは重要だけど、人間関係は難しいかもしれないね。ミュージシャンであれば、生計を立てるための基盤が整っているところに行けばいいし、レコード契約が決まればお金を集めてくれる。独自だと仲間はいないから、自分たちで全てをしなければならない。それは長い学びの道だと思っているよ。
―― これから目指していること
若い頃から描いていて、常に創造的であり続ける能力を持っていて、そのアイデアが外に出ていく方法もたくさん持っている。企業の仕事やプロダクト・デザイナーなどのためにも仕事をしているし、コントロールが自由なんだ。80 年代の終わりから、スケートボードを使った人たちからの良いフィードバックもあって、自分のブランドを作ることができるようになっていった。そのスケートボードからはじまったプロジェクトでイベントを作ることができて、ZINEを作ることができた。目標は非常識さを植え付けることだと思う。洋服のラインでも必要なものをユニークに考えていきたいね。子供服を作るとか想像するのは簡単だよね。野望はただ夢中になることだと思っているよ。
INSANE 40th ANNIVERSARY ART SHOW
-STRAWBERRY EXHIBITION -
日時:2024/8/31-9/15
場所:ROOM MATE TOKYO
Artists from U.K & Foreign country
Ged Wells(Insane)/ Jethro Haynes / Nick Philip(Anarchic Adjustment) / Pete Fowler(Monsterism)/ Russell Maurice(Gasius)/
Ed Bradbury(Kid Acne)/ James Jarvis(Amos Toys)
Artists from Japan
Jerry Ukai / Hi Dutch / Pucci / Hirotton / GOCCODO / AKKII, (Akiko Kudo) / Jikken Rat
BRANDS
MOUNTAIN RESEARCH / SEE SEE / KIDS LOVE GAITE / CANDY STRIPPER / NATAL DESIGN